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英語を語る 2

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英語をテーマに第2回。

 

英語の仕組みを意識しながら勉強をすると、それは遠巻きながら数学力の向上にも繋がっていると信じている(宗教)。ペラペラ話せる人にはナンノコッチャかもしれないけど、絶妙な英語力のボクにとっては、英語で悩むときの頭の中が数学で考えているときのソレと近い気がしているのが、その根拠だ。しかし、ボクはこれに関する明確なソースを提示できないので、これは一種の宗教として取り扱いたい気分だ。

 

で。今回の具体的テーマは、「無生物主語」。

 

学生のときは、なんとなく、

ふーん、そーなんだー

程度の感想で、ルールだけを覚えて対処していた。

 

教える講師は

「これを苦手にしている人が多い!」

なんて鼻息荒くしていたけど、ボクからすればただの暗記するだけの構文だった。

 

でも、受験を離れ、実生活で英語が必要になった頃、外国の従業員と何気ない話のなかで

"What makes you think so?”

なんて言われて、即座に解釈できないことがあった。

 

英語にできない人に典型の、

make=作る

という思考回路が邪魔して、

なにがおまえを作ったんだ?

なんて突然自分がロボット扱いされた気がした直後に、

〜think so?

なんて続くから、少々のパニックに陥っていた。

 

冷静になって考えると、「あ、無生物主語か」と思いつつ、なぜ

why do you think so?

と言わないんだよと思って、その心情の違いをあれこれ考えてみた。

 

ボクが達した結論はシンプルで、以下の2つのことだった。

 

1. makeは日本語の「作る」以上に何でも作れる

makeという単語に対し、「作る」と飛びついたボクは浅はかだったけど、同時に正しかった。ただ、日本語に比べ、表現できる範囲に差があっただけに過ぎない。

日本語の「作る」もものだけでなく、話だったり、作戦だったりある程度幅はあるけど、状況を作る具体的な表現のときには使えない。

The news made me happy.

は、The newsが [me] → [happy] となる状況を「作った」と解釈できる。日本語じゃ「ボクが幸せ」なんて状況は、「作る」もんじゃないけど、英語では状況というのは「作る」対象になるということだ。

 

2. 英語表現のほうが真実を描写している

じゃ何故、”状況を作る”表現がされるのだろう。これについては、よくよく考えると日本語のほうがおかしいというか、自己中だ。そのことがよくわかるのが感情を表す動詞を使った文のときだ。

I'm surprised at the news!

は受け身の形になっていて、

The news surprised me.

というのが平叙文ということになる。これってよくよく思えば当然で、ボクらは自発的に驚くことはない。なにか原因があって、その原因にその感情を抱かされるのだ。花の押し売りに近い。感情をコントロールせよ、というのは、花を押し付けれても毅然とせよということに過ぎない。換言すれば、心の導火線に火をつけるのが原因で、爆発する瞬間に感情が発露する。

その知らせに驚いた

なんてときも、驚く予定はまったくなかったのに、知らせが飛び込んできたから、その知らせが導火線となって、驚きという爆発が起きた、ということは事実だ。

そういうわけで、英語表現は事実の通り描写していて、日本語は自己中な視点に立っていると解釈できる。そういう意識でみれば先程の

The news made me happy.

だって、この状態(無生物主語)が自然な表現な気がするし、

why do you think so?

「ボクがそう思った」原因が、「ボクがそう思う」ことよりも先にあって、そいつがボクに「そう思わせた」とストンと理解できる。

 

よく海外で日本人は自己主張が苦手だ、なんて聞くけど、日本語表現においては逆なんじゃないかと思える。だからこそ、日本語の傲慢さの前に行動の謙虚さで対峙する姿勢を作り出してしまっていて、そんな思考から自己主張の少なさに繋がるのではないかと考えている。表現から逆算的にやってくる日本人的思考・行動が原因になっているのではないか、ということだ。

 

無生物主語の文章は日本語と英語の考え方のGAPだったということをしみじみと感じた若かりし頃の思い出。