今回は、ちょっと前に巷で流行ったせいで、ときどき聞かれることがある
6÷2(2+1)
の解釈について。
流派的には2つあって、
① 1
② 9
要は(2+1)部分を分子として計算するか、分母として計算するかというもの。
それぞれの流派に言い分はあって、
①は(2+1)を文字的に捉えれば分母でしょ
ってことだし、
②は(2+1)の前の省略された演算子は✕だから分子でしょ
となる。
ボクも初見でそういったテーマを与えられずにこの問題を解いてと言われたら、省略された✕はこの問題において省略されるべきではないという違和感の意思表明として✕を書き添えたあと、9と求めるだろう。
これって問題作った側がただひたすらに悪い。これって、算数的難問とかでなくて、ただの解釈・定義の問題だから、そこの姿勢を問うと言うのは数学ではないはずだ。もっと数学的なとこを問うのであれば、そこに対する解釈はできる限り親切であるべきだ。
省略って、「書かなくてもわかる」が前提にある。どの程度から、書かなくてもいい範疇になるとかというと、使われる世界によって異なるようだ。
ボクらの扱う日本語においては、共通理解(コンセンサス)が前提となるけど、これは一番曖昧で、簡単に言うと話者の予想だ。これで伝わるよね、って相手の理解を予想して省略を用いている。
これが英語では、繰り返しの表現とか発音しない箇所とかルールがある。なんとなく省略する、ということはないようだ(ネイティブじゃないから伝聞推定)。
で、今回の算数表現。ボクらは演算を省略するルールをどう理解しているだろうか。掛け算は省略可能とはわかっているけど、どんなときでも省略できるわけじゃない。
たとえば
2 ✕ 3
を
23
と書いてしまっては意味が変わってしまう。なぜ省略してはいけないかと正面から聞かれることはないと思うけど、そのココロは解釈がブレることを避けることにあるはずだ。
そういう姿勢で、
6÷2(2+1)
を再考すると、解釈がブレる=出題者が省略するべきでなかった、ということに尽きる。
というわけで、話題にはなったけど、出題者がルーズなだけだよね。「Tuesday Birthday Problem」とかみたいに中身(数学的事実)が面白い問題が話題になってほしい。