数学の論文を書いていたときとか、数学の専門書的な本を読むとき、説明の文中じゃなくて、式を繋いだり、条件をつけたりするときに使うちょっとした英語に触れるとき、英語って論理の表現に便利だなとよく思っていた。以前に話題にしたand、or みたいな簡単なものだって、否定をとったときの文構造とか論理に忠実にできていて、英語と論理の関係なんて言語学では楽しいテーマなんだろうなと門外漢ながらに想像したりする。
数学が好きなサラリーマンと自称しているけど、それくらいには英語も好きだ。
個人的の環境の変化で仕事上でも最近めっきり英語を使う回数が減ったが、せっかく身につけた英語力が衰えていくのももったいないので、定期的に外国人の友人と英語で話すことを心がけている(日本語が結構イケるやつだけど、あえての英語で)。
けして流暢なレベルの英語力ではなくて、ときに「あれ、これどうやっていうんだっけ」なんてこともありながら、コミュニケーションしているわけだけど、そんなときには家に帰って正解を調べておく。
すると、ふと全然関係ないとことかで、今更ながらに気づくことがあったりする。たまには、そんなことをここでシェアしていくのもいいかななんて考えてみた。多くの人に今更かい!といわれても、どこかの誰かに役に立てば本望だ。
ということで、今回はこんなテーマ。
「未来型とwillとbe going to」
・・・。わかる。聞こえてくる。今更そこを一端のノンネイティブ一般人が語るのかと。
けして、多くのエラい先生方が、
「英語に未来系なんてない!」
とか
「willとbe going toは=ではない!」
とか仰っているのを劣化コピーするつもりはない。少なくとも、理科大を目指したあの頃のボクがなるほど!と思える程度のことを勇気を振り絞って話したい(願望)。
ボクの経験では、中学英語で、
「未来を表したいときは、助動詞にwillを使います。be going to と書き換えることもできます」
と習った。そして大学受験の英語のときに、前述の下りのとおりに否定されて、
「will は強い意志を表す」
「be going to はスケジュールに書き込むようなことを話すときだ。」
なんて習ったりした。
数学が好きな人は共感してくれると思うんだけど、色んな事象を一般化したり、具体化したくなる発作が時々発露する。
willみたいな助動詞と、その書き換えとして習うイディオム的な表現たち。それぞれグルーピングされるわけだけど、グルーピングされたものたちにはどんな共通項があるだろう。
改めて調べてみたりすると、助動詞ってくっついている動詞になんらか話し手の気持ちやそこに期待する可能性を表していることがわかってくる。willは名詞で「遺書」とか「意志」とかの意味になるくらい、強い信念がある言葉みたいで、
「I will do that!」
なんていわれると、強い意志のもとに「それをやるよ!」って聞こえてくるし、
「it will rain」
なんて教科書的表現をみても、「雨が降るね」ってそう思った意志が伝わってくる。
一方で、be going to みたいなイディオム的グループ。
ボクの中での”その後気づいたあるある話”のひとつだけど、
「イディオム的なやつは、一回はそのまんま考えてみる」
ということがある。この態度って、難しいイディオムほど意識されやすくて、逆に簡単なやつは慣れすぎて素通りしてしまう。でも、あえて今回の「be going to」みたいなものに焦点を当てると、結構いいことがある。
be going to って素直にみると、Goの進行形になっている。で、その後ろに「to + 原型」がくるから、ここは不定詞だ。
じゃ、Goってなんだったっけ?と確認すると、
今いるところを離れて(どこかへ)いくこと
という意味だ。で、向かった先が不定詞部分。てことは、
「I am going to do that.」
は、”それをすること”にボクは向かっているよ=ボクはそれをするつもりだよ、だし
「it is going to rain.」
は、it(状況)は”雨が降ること”に向かっている=雨が降りそうだ、って素直に解釈できる。
そして肝心なのは、こう考えるようにしておくと(Goは抽象的なところへも向かえると理解しておくと)、わざわざ「=」で繋いできれいな日本語表現にしなくても、後ろに続くのが向かった先なわけで、訳することなく意味がわかる。
「must」と 「have to」にもこれがあてはまって、「have」については日本語の「持つ」以上に色んなものが「持てる」と気づいたらわかることが広がっていったので、この辺はまた今度。