数学が趣味だと周りの人に浸透すると、どうやら思考が論理的な人だから感覚的なもの、情緒的なものは好まないという偏見を持たれてしまうことがときどきある。
当の本人としてはそんなことはなくて、むしろそういうものに多分に惹かれる。
実は、高校生くらいの頃から嶽本野ばらの世界観が好きで、エッセイ集は「それいぬ」から、小説は「ミシン」からずっと読んでいる。
大学生の頃は随分と影響を受けて、彼が敬愛する人(金子國義とか竹久夢二、高橋真琴まで)を追いかけたものだ。
こういった一面があることがバレると、変なもので、数学が好きな面とを比較して、その人なりの解釈でふたつの繋がりの自然さを論評していただけることが少なくない。
ボクにとっては全く無関係な2つの趣味で、それらが交錯することは殆どない。各人の似た論評を聞けば、不思議の国のアリスを書いたルイス・キャロルだって数学者だったわけだし、といつも思う。
しかし。最近になって実は、ボクなりにこの2つの趣味の共通点を、みんなの解釈とは異なるところで感じ始めてきている。
よく言われるのは、両方に通ずる点は「美しい」ということをテーマにできる対象だということ。でもこれって、世の中には「美しい」ものはたくさんあって、それらにその「美しさ」を根拠に惹かれる人なんて星の数ほどいるわけで、紐付けられたようで、実はただ存在する2つの趣味の説明をされた気しかしていない。まぁ間違っているというわけでもないけど。
ボクが感じる共通点とは、「制約」と「自由」だ。数学にはルールが有り、嶽本野ばらの文学には貫く哲学がある。どちらも「制約」だ。
これらの「制約」は、相反するような概念の「自由」を描き出す源泉になっている。この「制約」から溢れ出てくる「自由」にボクは心地よさを感じていて、もう随分と長いこと幸せをもらっている。そして、そんな時間の中でこの「制約」と「自由」がボクという人間を形成してきた。
あまりまだ上手に説明できないけど、ボクが感じているこの「制約」と「自由」から得られる悦びみたいなものをみんなと共有したくて(一人でいい景色を見た後の誰かにシェアしたいキモチに似てるかも)、今実はとある計画を練っている。
一人じゃ中々時間かかるけど、そのうちここで話せるときがきたらいいな。