数学が好きなサラリーマンのブログ

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本を贈るということ、或いは贈り物の定義について

f:id:mathbanker:20181122004737j:plainボクは電子書籍愛好家で、本は極力電子書籍で買うようにしている。使っているのは主にKindle、ときにGoogle Playブックだ。使い勝手は実はGoogleの方が好きなんだけど、扱う書籍数の観点で現状Kindleを多用している。

 

紙の本は、ペラペラめくる感覚が・・とか、書棚に並べたときの光景が・・とかのメリットを耳にすることが多いが、ボクの中では断然電子書籍の方がメリットがあって、Amazonが欲しい本を両方のフォーマットで用意してくれているときは迷わず電子書籍を選んでいる。

 

そんなボクだけど、紙の本ていいなと思うときがあって、それは本をギフト品として扱うときだ。

 

ボクが読書家なことを知っていて、ボクに色んな本を勧めてくれる会社の同僚がいる。一般的によくあるのは、会話の中で最近読んだ本とかを紹介してくれるパターンだと思うけど、彼は一風変わっていて、ボクに一言二言添えて本をくれる。わざわざ申し訳ないと以前は言っていたけど、本なんて社会人にとっては大した金額ではないし、面白かった本でもいつまでも家に置いとくよりはだれかに上げて内容をシェアしたほうが有意義とかなんとか言う理由で気にせず受け取ってくれ的な趣旨を毎度返されるので、最近は素直に受け取っている。

 

もらった本を楽しく読ませてもらうこともあれば、読まずに書棚にしまうものも正直ある。けど、基本的に彼がくれる本はいい本が多い。

途中まで読んでみて、惹かれる内容のときはAmazonで検索してみて、電子書籍版があれば購入するということをしている。その瞬間、もらった紙の本は役割を失うことになる。

 

ボクは、贈り物(プレゼント)というのは押しつけがましいものであるべきと思っている。

贈り物が相手の物欲を満たしてあげるものだとしたら、そんなの自分で買いなよと思うし、自分に置き換えても、自分が好きなものはたいていこだわりがあって、相手がそれをおもんばかって準備してくれてもちょっと違うんだよなと感じてしまうことが多い。

一時期HYSTERIC GLAMOURのファッションにのめり込んでいたことがあった。あるとき知人が気を利かせてHYSTERIC GLAMOURのアイテムをプレゼントしてくれた。そのときボクは、「HYSTERIC GLAMOURは好きだけど、このアイテムは避けてたんだよな」と思ってしまった。彼は彼自身の思いというより、ボクの立場にたってボクが喜ぶだろうと想定するものを選んでくれたのは明らかで、それが間違いだった。

ボクは自分が欲しいものは自分で買うし、プレゼントしてもらえるものは相手の思いだと思っている。つまり、本人がほしいと思っているかどうかは知らないけど、プレゼントの贈り手として、これを使ってほしいとか、これが似合っているから提案を込めるといった、押しつけがましさがそこにあるべきだと考えている。HYSTERIC GLAMOURのアイテムを買ってくれた知人もボクに合うと思って選んでくれたとは思うが、それは押しつけがましさではなくて、配慮だ。

 

その贈り物は押しつけがましいものであるべきという点において、紙の本を贈るという行為はその好例だ。

送り手の価値観でいいと思った本を相手に読ませようとすることは、実に押しつけがましい態度だ。本を一冊読むにはそれなりの時間がかかるわけで、その時間を奪うことを前提にしてまで提案してくる行為は押しつけがましいという言葉がぴったりだ。そして、その想いがボクには嬉しいし、その価値観に興味を惹かれる。

これが電子書籍だったとすると、いらぬ配慮がそこにチラ見えする。電子書籍で受け取ると、読まずにスルーする割合がきっと増えるはずだ。今時点で、使っている電子書籍にギフト機能がそもそもないので想像だけど、リンクやらメールが送られてきて、それを開くと受け取れるような枠組みになるのだろう。その行為と紙の本をもらう行為のインパクトを比較すると、紙の本の方がボクの定義における贈り物によくマッチしていると感じている。

 

まだ電子書籍のギフトを習慣として持っていないからかも知れないけど、紙の本がもつ機能は電子書籍がもっと普及した後でどう残せるのか、彼が本をボクのデスクに置くたび考えてしまう。

 

白い本/あなた自身が創る本です。

白い本/あなた自身が創る本です。