正月をダラダラとテレビを見て過ごしていた。年を越しても相変わらず相撲ニュースばかりだなと思っていたら、今度は行司に対するセクハラ疑惑。白でも黒でも対して興味はないのだが、見ていた番組で気になる一幕があった。
行司が「自分は男色の趣味はないので、なぜこのような行為をしたのか分からない」と弁明したことに対し、その番組に出演していたIKKO氏が「同性愛の人間が未成年に対してこういうことやるんですか、という話じゃないですか。とても納得いかない」とコメントし、東国原英夫氏が「LGBT等々に甘い認識。」と追い打ちをかけていた。
言いたい気持ちはとてもわかる。しかし、これはロジカルなコメントではない。僕は数学は好きだけれど、心理学には明るくないので、誤用を恐れずいうと、これは確証バイアスと呼ばれるものだろうか。
似た状況のものにWasonの4枚カード問題というものがある。下の絵を見てほしい。
今これらの4枚のカードがある。それぞれ片面がアルファベット、もう片面が数字になっている。「7のカードの裏はKである」というルールが適用されているか確かめたいとき、どのカードをめくれば確認ができるだろうか(1枚とは限らない)。
大学生の正解率5%とにわかに信じがたいデータもセットになっている問題だが、あなたはどれを選んだだろうか。ありがちな回答というのが7とKのカードを選ぶことだ。こんな問題をだされて素直に7とKを選ぶなんてどうかしていると思ってしまうのだが、行司に対するコメントが一般的とすればさもありなん、だ。
高校数学の命題と論理である命題の待遇の真偽はもとの命題の真偽と一致し、逆・裏については一致するとは限らないということを習ったはずだ。
与えられたルールからいえることは
裏がKでなければ、表は7ではない(対偶)
ということだけで、
裏がKならば、表は7である(逆)
ことも
表が7でなければ、裏はKではない(裏)
こともわからない。
ルールがあるかわからないことを確認しても無意味だし、聞かれてもないので
表が7ならば、裏はK(命題)
裏がKでなければ、表は7ではない(対偶)
が確認できればいいわけで、
7のカード(左から2番目のカード)とDのカード(一番左のカード)を確認すればいい。
似たようなことが男色の話題にも当てはまる。男が同性の相手にセクハラをするには、前提としてその男性が同性愛者ということがある(と思う)。
行司の
「自分は男色の趣味はないので、なぜこのような行為をしたのか分からない」
という言葉の対偶は
「このような行為(同性へのセクハラ行為)をしたことを自覚していれば、私には男色の趣味がある」
となる。ここで注意しなければならないのは、異性愛者の中にもいるように、同性愛者の中にもセクハラをする輩はいるということだ。男色だったら、このような行為をするだろうという裏の表現は成り立たない。ちなみにIKKO氏の批判が同性愛者にはそんな奴はいないという意味だったら批判は成り立つ。
行司を擁護する気は毛頭ないが、議論において間違った論理で批判コメントがでるのもモヤモヤするので、取り上げてみた。まぁそもそもこんな弁明をすること自体が品がないな。女性にセクハラをしていたというのならば理解できるとも受け取れるので、この行司にセクハラの素養を感じてしまうのは確かだ。