長らく更新できていなかったが、思ったことやちょっとした数学コンテンツについて改めてまた更新していきたい。
とても今更な話題だが、以前オリエンタルラジオの中田氏が尖った発言をしたことがニュースになった。どの記事かはあえてリンクは貼らないけど、冒頭の出だしはこんな文章だ。
>中田さんは動画内で、「中田で笑うのって結構知性いる」と発言した。それは逆に言えば、彼の笑いが受け入れられない人は知性が足りない、ということだ。
中田氏の発言が選民思想的だと指摘している。簡単に言えば、中田氏で笑えない自分には知性がないのか!他人を見下している!ということだ。レビューコメントにおいてもそんな言葉が並んでいる。
彼の発言の中身はさておき、本当にその解釈であっているだろうか。
この記事の執筆者と同じ憤りを感じた人は
数学なんて勉強しても意味がない!
とか
自分は勉強せずともナチュラルにロジカルシンキングできてるぜ!
とか普段思ってたりする場合には今回少し自省を促してみたい。
中田氏の発言は、
「中田氏で笑う」という結果を得るためには、「知性がある」ことが条件だと言っている。ここから因果関係に当てはめると、
A. 原因:知性がある
B. 結果:中田氏で笑う
ということになる。
これは数学的に表現すると、A⇛Bとかける。
ここから言えるのは、当然
¬B⇛¬A
ということであって(¬:ノットという否定記号)
¬A⇛¬B
は一般に導けないことは高校1年生の頃に学習したことだ。
一旦冷静になって考えてみれば感覚的にも容易に感じ取れるだろう。
世の中には知性がある人とない人の2グループに分けることができる(正確には知性があるということを定義しないといけないけど、そこは中田氏の中に判断軸があると信じよう)。
中田氏の笑いではない、一般的な笑い(A氏の笑いと仮定する)であれば、
この2グループをさらに4グループに分割することができる。
① A氏で笑える知性がある人
② A氏で笑える知性がない人
③ A氏で笑えない知性がある人
④ A氏で笑えない知性がない人
ここで、中田氏の場合は、自分の笑いは①しかない、と言っていることになる。そして、記事やレビューコメントの人たちは、③の存在を忘れている。
別に彼で笑えなくても知性がある人は存在するわけで、なにも憤ることはない。憤るとすれば、中田氏に知性がないという烙印を押された人がそれでもなお彼の笑いを理解できた場合に、「知性がないのに笑えたぞ!どういうことだ!」というのである。
誰かの発言の解釈の仕方を誤って、その人にクレームをいうことは非常に残念な行為だ。本当にその人はそう思っていると汲み取れるのか、少し立ち止まって考えてみるべきだ。それができないと、その行為こそが知性がない証左だと暗に示すことになってしまう。
「嘘を嘘と見抜ける人でないと・・・」というちょっと有名なセリフがあるが、論理が崩壊している記事というのをそこそこ見かけるので、ロジカルシンキングは仕事術!ということではなく、普段から意識しておくべきことなのかもしれない。