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統計という名の魔法(といいつつ、統計の話ではない)

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「統計的観点からは30代で数学が得意な人は既婚率が高い」
…なんてことは多分ない。おそらく。

 

しかし、こんなことを言われると「えーそうなの?!」と言いつつ、信じる人は少なくない。それは多くの人が統計的事実というものを受け入れていて、例え近くに30代で数学が好きな独身な人がいても、「あぁあの人は例外なのね」となってしまう。

 

このエセ統計結果の説明を、統計の使い方を間違えている人が行っている場合については過去にも話したことがあるが、今回はこういった情報に対する聞き手の方にフォーカスしたい。

 

学者や権威ある研究家の発言の説明は信じても、心霊術師や占い師の説明を訝しる人は少なくない。僕の周りにも割にこんな人たちはいる。

 

その理由を聞くと口を揃えて「科学的根拠」や「ロジカルさ」を挙げてくる。理系出身の端くれとしてそのキモチはわかる。

 

仮に心霊術師が突然瞑想をはじめて、
「いま魂だけ心霊図書館に行って調べてきました。この地球において、数学が得意な者の多くは結婚しているようです」
と言い出したとする。

 

「『得意な』ってどう定義するんだ?」とツッコミをいれたくなる理系な人は、「科学的根拠のないエセ心霊術師め」となるわけだが、冒頭の統計話とここで比較してみたい。

 

「統計的観点」といえば、それは「ロジカル」なのだろうか。「心霊図書館」は存在するはずがないから結論は嘘だと否定するのだろうか。

 

統計的観点も心霊図書館も、根拠を示さなければ同じ漢字5文字だ。

統計的観点は、現時点で示されていないものの根拠を示すことが可能だと感じる一方で、心霊図書館は根拠を要求しても出てこないと思っていることが、両者に抱いている心象の根本のハズだ。

 

でも、現実を見ると両者とも、その背景を何も示していないという事実しか眼前にはない。ただ感覚的に抱いてることが、その信憑性を決めている。

 

統計的観点からものを語るなら、関係する数値を示す必要がある。どういったサンプル空間において、どんな分布が確かめられ、どう結論づけたのかのストーリーとともに「統計的観点」というワードは使われていないと不十分だ。つまり、このストーリーを要約した表現が「統計的観点」なのであって、ストーリーがないところででてきても、ただの空き箱に過ぎない。

 

もちろん、統計的観点というのは一例であって、こういったことは枚挙に暇がない。昔魔法が信じられていた時代を嘲笑う人が現代の魔法に気づけていないことはなんとも残念だ。

 

よく巷で賢い人こそ騙されやすい、なんてことを耳にするが、その原因がこんなことならばきっとその人は本当は賢くなんてないんだろうな、と思うこの頃。

 

…これって数学でなくて心理学かな。