いつもは問題を解くけど、今回はその問題を解くための作戦とか態度的な側面について考察したい。
このブログの裏目的として、社会人として数学に携わる行為をどう活かすか、というのもあるので、そこも意識してみる。そういう観点では、問題を解く、というこの「問題」は、「数学の問題」に限定せず、「あらゆる諸問題」とも解釈できる。
この世にある、あらゆる問題は、時間的制約を受ける。ボクらには、そもそも寿命という時間的制約が課せられているわけだから当然の話だ。その中でも、短いごく限られた時間の中で解かなければいけないものと、比較的時間の猶予が与えられたものがある。
これらの違いを端的に指し示すならば、「暗記していることの重要さ」だ。
時間があれば知っていることを丹念に紡ぎ合わせていくことで、答えを探すということに専念できる。重要なのは解決に至る論理の発見であって、いくら手戻りがあっても最終的に発見ができればいい。
一方、時間がとても限られた中では、試行錯誤をする余裕がない。「暗記」がもたらすものは経験の流用であり、(自分以外の人であっても)かつて悩んだことは繰り返し悩まないという姿勢だ。この「暗記(パターン)」を用いて極力時間を短縮し、過去の事例に即して問題解決を図るのが王道だ。
今回の共通テストは、時間が2時間とか3時間与えられていたならば大した難化ではなく、むしろ簡単な試験だったと評されると思う。つまり、
時間が足りなかった=テンポよく解くためのパターンの判断に時間を要した
ということではなかっただろうか。
数学の試験勉強の目的の一つにパターンを知る、パターン適用の判断の根拠を知る、ということがある。こんな解き方があるのね、ってことだけでは意味がなくて、どんなときにこのパターンが使えるのかということまで抑えて勉強なわけだ。
ここで陥っていけないものは、一つの問題ごとにパターンを得てしまうことだ。パターンを得るとは、一般化することに他ならないが、一般化とは複数の事象から共通部分を発見することであって、一つのことからは一般化をすることは不可能だ。
また、パターンと聞くとチャート式に載っているような解法との対応を考える人も少なくないと思うけど(それも多分にあてはまるけど)、それに加えてオーダーメイドの自分なりの思考回路の場合分けを整理することが大切だと思っている。
解法例とかが似たような問題を集めてきて、何が似ていて、何が似ていないかということを明確にしてみる。なにが「似ている」ということを形成しているのか、ということをよくよく考察し、その判断の根拠を探ってみる。そうすることで、まだ見ぬ同種の問題に対応する術を身に着けることができる。
これが意味するのは、試験勉強という行為すらも一般化して、問題解決をするためのアプローチ獲得の訓練と捉えれば、受験勉強は学歴社会が生み出した無益な作業という無益な考え方から決別することができるということだ。
共通テストに挑むということにおいては、時間配分の話とかもあるけど、今回は試験性格とそれに対する対応の話まで。
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