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帰納すること

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 僕が高校生のころ、数学的帰納法とはドミノ崩しのようなもので、まず最初のドミノが倒れることを確認し、ある場所が倒れれば次のところが倒れる、いわば装置的なところの確認ができれば、すべてのドミノが倒れることの証明ができる、そんな証明法のことだと習った記憶がある。

 

 今改めて考えてみても、この例えは的を射ている。しかし、この証明法への名付け親的なところへの配慮や、数学の生活への活用を考えるのならば勿体無い側面もある。

 

 「帰納」とはなにか。wikipediaでは、個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする論理的推論の方法のこと、とある。

 

 例えば、とある国に旅行したときに青いポストを見たとする。たった1つ見ただけで「この国のポストは青い!」

なんて一般論を振りかざすには当然論理的隔たりがある。

 

 どうすればこの国のポストは青いと言えるだろうか。一つ単純な方法として、国中のポストをすべて確認して回ればいい。国中を練り歩き、すべてのポストが青いことを確認した後ならば、この国のポストは青いと言える。

 

 しかし、国土面積にもよるけど、国中すべてのポストを確認することは現実的ではないし、そもそも論理的推論になっていない。実地的確論になってしまう。

 

 この作業に代替することを検討する必要がある。例えば、国のポストを所管するところに行き、ポストを青くしているというルールを確認したり、国民にアンケートをとって、青いポスト以外を見たことがあるかをきけば確認ができる。

 

 数学的帰納法では、この一般論を得る方法をポストを国土中効率的調べることで実現している。冒頭のドミノの例のように、一般には連続する2項の関係を用いた装置を用いて、すべての数字で確認する作業を自動化し、1つずつ代入して確かめていく行為を代替してすべての自然数での成立を示している。

 

 別に、別に帰納法をわかりやすく説明したいわけではない。抽象化された装置を用いて、自動化している枠組みは、むしろ演繹法ではないかという指摘をしたいわけでもない(演繹は帰納の対義語)。

 

 一般生活において、この個別的・特殊的な事例とは、我々の経験のようなものだ。この経験を糧に、人生の教訓や指南を導き出し、後世の人々に伝えるなんてよくあるけど、個人の経験に基づく方法論や精神論は一般性があるかわからないから疑問だ。ひどい時にはたった一度の経験で、帰納して一般則を導いてしまう。

一度の経験で推察される一般則を誰にでも当てはめるためには相応の装置(論理)が必要だ。
  
 そんなのわかってるよと言われるかもだけど、世の中には、そんな誤った推論が蔓延しているようにみえる。人生の成功の仕方、魅力的な女性の口説き方、大金の稼ぎ方。

 

語る人のストーリーが秀逸であれば、ついその編み出された一般則が真実のように聞こえてしまう。 

 でも。よくよく考えて欲しい。なぜ、その人のいう規則が成立するのかということを。その人が長い人生をかけて経験的に会得した一般則ならば、あなたの役割はそれを論理的に紐解くことだ。

 

世の中には、白いカラスだって存在するのである。