理系の方々にはお馴染みの極限について。
$lim$の計算で数学が嫌いになった人もいるかもしれないが、この極限が編出す世界は実に面白い。
極限とはとある数の列の成れの果ての姿のことである。高校数学ではこの理解に留まるが、大学での数学ではこれをε-δ論法なるものを用いて、定量化された表現で学ぶ。そして、ここでまた一段と数学離れが起きるようだ。
そんな嫌厭されがちなこの極限の世界について、今回は少しだけ思うところを話してみたい。
だんだん何かの値に近づいたとしても、そこに辿り着く保証はないし、辿り着かない場合にそもそも極限の魅力があるとも思われる。
例えば$\dfrac{1}{x}$において、$x \rightarrow \infty$とすると
$\dfrac{1}{x} \rightarrow 0$
となる(矢印は近づける・近づくという意味)。
感覚的にはとてもつかみやすい事実だ。
$x$に具体的な数字を色々当てはめてみると、大きな数字を代入するほど$\dfrac{1}{x}$の値は小さくなっていくことがわかる。あなたの知る限り最も大きな値を当てはめてみると、$\dfrac{1}{x}$の値は途方もなく小さな数字になる。
しかし、どんなに小さな数字になったとしても、0になってしまうことはない。0よりはほんのり大きな数となる。
つまり、0を目指すものの、0には辿り着かない。$\dfrac{1}{x} \rightarrow 0$というのは、どんなにがんばっても辿り着かない一歩先の値ということだ。
εーδ論法ではここのところをうまく数式で表現できているのだが、そこの解説は巷のサイトや本に委ねたい(もしくはそのうちこのブログで)。
ここでは、この徐々に近づいていったときの一歩先の値というところで少し数学から角度を変えてみる。
先日、嶽本野ばらのエッセイ本を読んでいたら、浜崎あゆみの詞についてなるほどと思える考察があった。
Appearsという曲の歌詞のなかに「夜を飛び越えて」という表現がある。恋人未満から恋人になる過程には、徐々にではなく「飛び越える」ようなイベントがあって、それで二人の関係はがらりと変わるという。
ここで、恋人未満から恋人への発展は数学における極限であったかと気付いた。そのままの二人では辿り着けない場合があって、飛び越えることで恋人になることはまさに極限の考え方と同じだ。
マルコム・グラッドウェルの「ティッピングポイント」という本を読んでいるときには、別の面白いことを知った。
人の噂話とは徐々に広がるように思えるが、およその場合そうではないらしい。
噂話が広がる、特に爆発的に広がるのは、とある人(ティッピングポイント)にその噂話が到達したときで、その人が一気に拡散することで蔓延する。徐々に広がる行為がそのまま全体を覆うということでないようだ。
極限と浜崎あゆみとティッピングポイント。共通するのは徐々に進んだ先で結果に到達するという、ある種の努力論を否定しているところだ。
目指すものは見えている。しかし、そこに辿り着くためには続けてきたことを繰り返すだけでは足りないのかもしれない。
ティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか
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