数学が好きだけど、それと同じくらいゲームが好きで、そんなボクが、例えば来年大学受験するぞ!というときにどういう姿勢で勉強するべきかというテーマをゲームの観点から語ってみたい。
よく受験はゲームだなんていうけど、その通りだと思う。世の中にはその解釈に同感する人は結構多いように感じるけど、でもその「ゲームのようだ」ということがどんなことか理解している人は実は少ないんじゃないだろうか。
ただ単に、簡単に問題を解いて、その解くときに得られる快楽を愉しんでいる様をみて「ゲームをしているようだ」と解釈している人が結構いると思っている。そんな人も確かにいるんだろうけど、ぼく自身がゲームのように大学受験をクリアしたという経験は、それとは異なる。
ここではちゃんとゲームに例えて考えてみよう。題材はボクが大好きなフォートナイト(FORTNITE)だ。
知らない人のために簡単に説明すると、100人から開始して、一つの島を舞台に最後の一人になること(ビクトリーロイヤル:通称ビクロイ)を目指すゲームだ。その過程で様々な武器でライバルたちと闘うわけだけど、フォートナイトの特徴として、「建築」という要素がある。戦うときに、だだの銃撃戦になるのではなく、壁や階段、屋根などを瞬時に立てて、テクニカルに防御をしながら、優位なポジションをとっていく。
そんなフォートナイトを今日から始めるビギナーが感性だけでビクロイ連発なんてことは難しい(厳密にいうとマッチングシステムのおかげで最初の敵はとても弱いので数回は取れる可能性があるけど)。
そこで腕を磨くにはいくつかの道がある。いまどきだと最も手っ取り早いのが、Youtubeをみて知識を習得し、それを実践で練習することだ。動画をみないと自分で様々な技術に気付くのは難しいし、でも動画を見ただけでは実戦ですぐに同じことはできないので、おなじ技術が使えるように特訓する。
しばらく練習して基本的なアクションがわかってくると、どんなシチュエーションでどんなことをやるべきかということを実戦の中で考えるようになってくる。時にはすぐには打開できない固定的なシチュエーションみたいなものにでくわして、youtubeでほかの人のプレイをみることでほかの人が同じ境遇でどういうアクションを取っているのかを知る。そのアクションが一筋縄では使えるようにならないものだったら、使えるようにひたすらその動きを練習する。
そんなことを繰り返しながら、少しずつ上達して、そのうちにビクロイできる回数がじわじわと増えていく。
どんなゲームである程度やりこむ要素のあるものは、こんな具合に上手になるまでの過程があって、ゲームにはまる人というのは、そのゲームに対し、自分なりの上達の過程を持っているのだと思っている。
この”ゲーム”の中に、大学受験というものがそのままあてはまる。そういう意味では実は例えでもなんでもなく、大学受験はゲームなのだ。
そう考えると、一つ変なことに気付く。
例えばフォートナイトがうまくなりたい!という人がいて、巷にフォートナイト学校があったとする。
その学校では3か年プログラムでフォートナイトが上手になる方法を指南してくれる。ルール説明や世界観、キャラクター操作方法などから入って、1年の終わりから2年のはじめくらいで「建築」を学ぶ。定期的に試験があって、完璧に習得していなくても、ある程度の状態で次の過程に進む。
ポイントは、1クラス30人くらいいて、目の前で先生が画面でプレイをして、生徒たちが各々の画面で同じ動きを記録することだ。実際にその動きができない生徒がいても、とりあえず次の授業では次に進む。次の動きは、前回学んだことを用いた動きになっている。先生がやって見せるその動きをまた生徒たちは録画する。
こんな学校で学ぶ生徒とその前に話したYoutubeと実戦を繰り返す人はどっちが上達が早いだろうか。前者は、ともすれば途中挫折したところから興味が失せてしまって、学校に入ったこと自体を後悔しているかもしれない。
これはけして学校というシステムが大学受験に向いていないという指摘をしているわけではない。どれだけ身についたか、どれくらい自分で考えて実践しできるようになったか、ということが重要なわけで、学校というシステムはひたすらに受け身だとそういった点が機能しないということだ。
解きたい問題がどういったレベルのもので、いまどれくらい解けて、なにがわからないのか。解けるようにするためには、なにがあればいいのか。どういうプロセスでそれが可能なのか。
という姿勢はゲームも大学受験も同じだ。
子供のころにゲームにのめりこむことは、自分にあった上達プロセスを知るという意味でもとてもいいことなのかもしれない。