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一般化するということ。宇宙人と異端者の選択について。

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今回は「一般化」について。

 

「一般化」って数学における抽象化という作業が手に入れた概念である他に、日常的にも物事を俯瞰したり、大きな視点で考えるときによく使われるツールだ。どことなく「一般化」して考える姿をみせたりすると、賢そうに思われたりもして、なかなかに利便性が高い。

 

でも、この両者(数学的使い方と一般的使い方)の間には、定義にこそ差は少なくても、一般用法には違いがあって、その差というのが結構真逆だ。

 

例えば数学において、

$2,4,6, \cdots$

という具体的な数は一般化してみると

$2n$  , $n \in  \mathbb{N}$

と捉えることができる。注意したいのは、一般化という態度は必ずこうなるというものではなくて、解釈の数だけ一般化した形は異なるということだ。今この例では偶数として捉えたというだけで、

$y=\dfrac{3}{4} (x-2)(x-4)- (x-2)(x-6)+\dfrac{1}{4} (x-6)(x-4)$

という二次関数から得られる値という解釈もある。

 

しかし、解釈の仕方は種々あっても、一度一般化されたものは間違いなくその具体化されたものを含むし、同一の性質のものはすべて残らずに代表している。ここが、ボクらが普段「一般化」という言葉を用いるときのギャップになる。

 

「一般的に、男性より女性の方が仕事中に抱えるストレスが高くなる。」

ということがあったとしよう(真実はさておき、本当に会社で健康に関するコンサルタントからこんな指摘があった)。この場合、特定のストレスが溜まっている男性や、まったくストレスを感じていない女性を目の前に連れてきてもあまり意味がない。それは、「一般的に」という範疇でその傾向があるだけで、個別具体的なケースでは許容しているからだ。

 

つまり、数学における「一般化」はすべての具体性に通じる共通項である一方で、世の中で使われる「一般化」はただの傾向に過ぎない。

 

一般化した対象を深堀したり研究する姿勢は数学においてはきれいにその具体的事象を引き連れて意味をなすけど、日常的な「一般化」はそこに汲み取れなかったものまで存在を忘れないように気を配る必要がある。

 

ボクら数学が好きな者たちに与えられた選択は、日常生活における会話でさえも数学的な一般化の概念を持ち出し、宇宙人のようなまなざしを受ける覚悟を持つか、日常生活では数学のような厳密さを放り出し取りこぼされた異端者たちに心の中で合掌をするかといったところだ。

 

仮に前者を採択することができたなら、日本語の言葉が作る空間のなかに新しい数学の何か芽生えを発見できるような気がしないでもないのでとても楽しそうだが、ボクにはその選択は難しい。