整数問題って難しいと言われがちな一方で、パターンを理解していれば簡単だ、なんて解説も多い。
いつどんなときにどのパターンを用いるかの判断が難しいことを考えると、どっちとも言えない感じだけど、今回はそんな整数問題のパターン自体についてフォーカスをあててみたい。
微妙な表現の差異はあれど、整数問題のパターンといえば、次の3つを指すことがほとんどだ。
- 範囲を絞る
- 余りで分類する
- 約数を考える(掛け算で考える)
多くの参考書やYoutubeなどでも、これらを使って整数問題を解説しているところをよくみる。それくらいに常套手段なアプローチだ、ともいえる。
さて。そもそも、なぜこのパターンなんだろう。
大学数学までちゃんとやっていると、この辺も体系化して教わったりするんだけど、一言でいうと、整数の性質を利用している。「だから何?」と言われてしまいそうだから、もうちょっと続けよう。
なんでこうやって解けるんだっけ?というそもそもなところを追っかけておくようにすると、ある特性のものに対して一般化することができるから、数学に限らず似たような問題が現れたときに、対処が効率的に進む。ゾンビに聖水をかけてやっつけるのは、毎回ひらめくものじゃない。
整数とはなにか。
これはけして高尚なことを問うているのではなく、そうでないものとどのように区別してあるのかを確認したい。よもや、ペアノの公理を説明するつもりもない。
整数の特徴は、
- 飛び飛びの値であること
- 足し算、引き算をしても、整数のママ
- 掛け算は整数のママだけど、割り算は整数になるとは限らない
この辺が思いつくところなはずだ。そして、これらがそれぞれパターンを生み出している。
- 飛び飛びの値であること
一般的に実数の場合、未知数を特定する場合、その未知数の数だけ方程式が必要になる。でも、整数においては、飛び飛びの値ゆえ、範囲が定まれば特定できることがある。
$$1 \leqq x \leqq 3.5$$
だと、挟まれる数字は$2$と$3$だけに特定できる(実数だと無限にあるのに)。 - 足し算、引き算をしても、整数のママ
足し算も引き算も、一つにまとめて加法演算とみることができる。加法演算はどの組み合わせでどれだけ計算しても、整数以外になることはない。 - 掛け算は整数のママだけど、割り算は整数になるとは限らない
ここで特徴的なものは、割り算だ。割り算をして整数でいるためには制約がある。この制約こそが、整数が整数たらしめるのに一役買っている。
キリスト教信者がそうでない者たちに紛れようとしても、キリストの絵を踏めないことが制約となって正体がばれていったことにもわかるように、制約は制約を持つものを明らかにする道具として使うことができる。
そうであれば、次に考えるのは、制約をどう使うか、だ。キリストの絵のようにわかりやすい道具があればいいけど、そうでなければもう少し制約について考えてみる必要がある。
何かを判定するとき、ボクらは一列に並べて、順番に判定をしていくけど、この制約を与えている割り算は、順番を考えるとグループに分けられる性質をもつ。
それが余りの周期性だ。
割り算には制約があって、整数のままでいようとすると、余りが出る。この余りはけしてランダムではなく、同じ数字たちが繰り返し現れるという性質がある。
つまり、割り算の制約は、余りの周期性という性質を生んでいる、ということだ。
1から発想するのは難しいけど、決して突飛な解法・手法ではなくて、整数という数字が持つらしさに着目して類型化されたもの、と解釈できる。
ちなみに。そもそも整数問題とは、その名の通り整数らしさを使うからそう呼ばれる。解法から逆をとだって名前がついている。テストなどでは律儀に整数問題とテーマが与えられていることはないだろうから、
整数問題だ→パターンを考えよう
ではなくて
整数に着目して、パターンを使ってみようかな
というのが現実的な姿勢になる。
さらにたどると、問題に出会ったときに、どうやって解こうかなと考えるところが出発点だ。目の前に表現されたものに対し、どこの部分に着目して、どうアプローチするか、と考えることになる。そこにパッケージされた考え方として、整数問題というセットがある。もちろん、それ以外のパッケージや、思考回路も選択肢として存在するはずだ。
この辺りを客観的に意識するだけで、問題を前に思考停止に陥ることを防ぐことができる。よくわからない問題で、考えているふりをしながら頭の中で「わからない、どうするんだ?」とつぶやき続けたりしてるなら、こんなことがヒントにならないだろうか。