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答の在り処

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「数学には必ず答がありますよね。現実は数学のように答がないこともあるんですよ」
どと数学を批判的に言われることがある。

 

単なる推察(邪推?)で恐縮だが、個人的な感覚でいうと、発言主は数学が苦手な方であることが多い気がする。

 

数学好きを公言している立場として、ここで少し反論をしておきたい。

 

曖昧さを内包するような哲学的な質問は、その答えがコンセンサスを得たものとして明確でないものが多い。哲学と大上段に構えなくとも、「ビジネスで成功する方法」とか「気になるあのこの口説き方」とかいったものは、一般に誰にでも当てはまるような正解がない(多分)。

 

一方で、「今の総理大臣は誰か」とか「今日あなたが食べた朝御飯は何か」と言った答は当然存在する。仮にあなたが総理大臣を知らなかったとしても、朝御飯を食べていなかったとしても答が存在することには影響しない。

 

ここで、「今の総理大臣は誰か」ということを少し掘り下げて考えてみる。この問に答があるとしている根拠は、憲法に従い、国会の議決で総理大臣として指名された人物が総理大臣であるという、その定義にある。総理大臣を操ることができる事実上の総理大臣、と定義を変えると、途端に答は変化してしまう。それは、菅首相が内実ともに首相であろうが、あなたがその真の姿を知っていなかろうが関係はなく、答の意味するところは変容する。

 

つまり、質問の答というのはそこに出てくる言葉の定義の共通理解を前提になされる。

 

数学では、ユークリッド原論以来この姿勢にたいしてストイックである。皆が共通で理解しうる当然のことを最小限の形で公理として認め(非ユークリッド幾何は更に公理を減らしている)、そこを起点にあらゆる論述を論理的に説明する。

 

それでも、数学自身が、例えば幸せとはなにかということに答はだせない。おそらくこのことを認めない人はいないはずだ。しかし、答えを探求するために、必要な手続きは数学にある。

 

 

食べたら太る、ということから導けるのは、太っていないのならば食べていないということだ。食べなかったら太らない、は論理的な事実ではない。現に、食べなくても直接脂肪を注入すれば太る。

 

ある人がとある職業の人に殴られたとする。その選択肢が、銀行員、優しそうな銀行員、痩せた銀行員、人相の悪い銀行員である場合、犯人である可能性が高いのはどれだろうか。形容詞はすべて条件であるから、条件付きでない銀行員が一番可能性が高い。優しそうであっても、痩せていても、人相が悪くてもそれは条件として、銀行員の一部を示すものであるために確率は下がる。

 

答がだせるものに正しい答をだす行為は、答があるものとないものをより正確に見分ける訓練になるし、答がないものに対しても自分なりの考えを導くアプローチとしてヒントになる。

 

逆に言えば、明快な答があるものにさえ答が出せない人に、質問に対する答がないことをどう判断できるだろうか。そして、答がないものにどうやって見解が組み立てられるだろうか。

 

過去に多くの哲学者が同時に数学者であったことは偶然ではないはずだ。