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イコールとか人間関係とか。

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過去にもイコールについては語ったことがあるけど、今回は人間関係という点から少し考察してみたい。

まず、そもそもの等号について少し考えてみる。
A=B 
と表現するとき、当然ながら左辺と右辺は”同じ”ということを意味している。

ボクらは”同じ”といわれて、ふーんと理解した気になるけど、ちゃんと考えるとテーマが必要なハズだ。どんなテーマの元に、何と何が同じなのか、ということだ。

よく用いる例だけど、『世の中は数学のように「1+1=2」とは限らない』、なんてよく耳にする文句もこのテーマを理解していないだけだ。

ここでポイントは、何かと何かが“同じ”で、それらを等号で結ぶとき、その何かと何かは別の面では異なっているということだ。
言い換えると、何かと何かは異なっているけれども、テーマを一つ定めればその観点からは“同じ”になっているという意味だ。”一心同体”なんて言えるのは、本当は異なる二人がいるからに他ならない。全く同じ2つなら、そもそも区別することすらできないはずだ。

さて、これを人間関係に当てはめてみる。
誰かに何かをするとき、我々は無償の提供ということはあり得るのだろうか。

金銭と限らず何かしらの代償をもって、ボクらはその人に提供行為を行っている。つまり、提供行為=代償が成り立つはずだ。

反論されがちな話だけど、一つ例を浮かべ、それの自分の心象を考えてほしい。きっと家族や恋人への愛(行為)は無償だ、という意見が多いと思うけど、こういった場合においても問題なく当てはまっている。その愛の代償が提供するときの心の中に存在しているはずだ。

重要なのは、等号を成り立たせるための行為の価値は自分が決めるということだ。この行為は誰かに何かをするときだけではなく、してもらう時だって同じで、本当に無償ということはありえない。

世の中にはモテる秘訣というものが溢れている。美男美女以外は、どうやったらモテるのかを一度くらい考えたことがあるだろう。
残念ながらこれに対する明確な手法を持ちあわせているわけではないけど、一つ言えるのは、魅力的な異性が振り向くための対価を持っている必要があるということだ。美男美女の場合は、それだけで対価となりうるということであって、唯一無二のものではないことは世のカップルたちが示してくれている。

仕事において、忙しくて手が回らないとき、同僚や部下に仕事を頼む。この同僚や、部下はけして無償であなたを助けるわけではない。あなたを哀れんで、あなたに救いの手を伸ばしたと本人が後日暴露したとしても、それを行った本質的な動機が無意識でも存在しているはずだ。

我々は、他者との間でなにかの行為をするときに、自然と秤の一方に乗っていることを忘れてはいけない。