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奢る能力、奢られる能力

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コロナな世の中になって、人と食事をするとか、飲みに行くということが現実世界では久しくなかった。
今日久々に仕事中のランチで後輩と食べることになって、久々だし気前よくということで、奢ってみた。
 
美味しく海鮮弁当を食べながらふと思った。
 
今までに何回も奢ってきたし、奢られてきた。
考え方によっては、先輩に奢られてきた分後輩に奢ってると考えられるんだろうけど、
あんまりそんなリレー風に捉えることはなくて、
奢る側も奢られる側もある種の能力を使っているのかなと感じている。
 
誰にでも奢るわけじゃないし、誰からも奢られてきたわけじゃない。
そこにはそれなりの理由があって、奢ったり奢られたりだ。
 
どっちの能力に長けている方がいいんだろう。
 
自分が出資することなく、食べ物を得られているわけで、短絡的に考えれば奢られる方に決まっている。
 
でも、
「すべての物事は、等価交換である」
という信念に照らせば、奢った側も多めに出したお金の代わりに何かを得ている。
裏返せば奢られる側が失った何かだ。
 
ボクの見解では、奢る側は、食事している空間に色を塗る権利を得ている(買っている)。
そして奢られる側は、塗る権利を譲っている。
 
大げさに言えば、奢る側は作る側で、奢られる側は見る側だ。
自分色に塗り上げる一方で、その色合いをああだ、こうだと批評する。
だから組み合わせは任意では成り立たなくて、相性みたいなのがある。
 
何が言いたいのかというと、奢る側が偉くて、奢られる側が下ということじゃないということだ。
役割が違う。ペインターとコメンテーター。
 
過去の記事の中でもよく「イコール」の話をしてきたけど、どんなときでもボクらは等価交換をしながら生きている。
奢ると奢られるという関係の中で、ここにはこんなバランスの解釈があるのかとふと思ったランチタイムだった。
 
A=B
って何かと奥深い関係だ。