16歳の環境保護の訴えの裏には汚い大人が見え隠れしているとか、いい大人が税金未申告だなんて何考えているんだとか。
まっとうな意見なんだろうけど、ずっと何かしら違和感を覚えてしまうのはボクが天の邪鬼だからなんだろうか。
ネットの色んな所で清廉潔白で千里眼を手にした人達による、どこかで見た批判が繰り返されている。情報化社会ってこういうことだっけ。
自分が16歳のときに成し得ないことは、他人にも難しいはずで、現実に起きたなら、それは背後に操る大人がいると見抜く。
納税は国民の義務なのに、自分はこれだけ源泉されているのに、稼いでいる人が長い間納めていなかったなんてひどい話だ。
ボクらがこうやって、特別な行動をとったり、過ちを犯したりした人たちを批評するのは、ある種のエンターテイメントなんだろう。腕を組んで、したり顔で自分の知っている範囲の見解を共感できる人たちに説く。
世界の舞台で自分の思いを語ったことは、今はその内容が未熟だとしても、きっといつかの成熟した見解につながるんだろうし、自分の失敗で人生最大の辛酸を舐める思いをしたことは、これからの人生のために自分を見つめ直すキッカケになるんだろう。
番組の傍らに座るわけでもないボクらコメンテーターは、ただ無為に時間を浪費しながら、悦に浸って二束三文の感想を世に投げる。あとどれくらい時間を使えば、そのクスリを手放せるのかな。
今晩は音楽を聞きながら、数学書に耽ることにしよ。