一部の進学校や、高校時代以前から数学愛好家のような人たちを除き、多くの数学科に進んだ大学生が大学の授業で繰り広げられる数学の世界に戸惑う。そんなことねーよと言われてしまうかもしれないが、少なくともボクが大学生の頃の理科大生はそうだった。
高校三年生の頃に微積の魅力に取り憑かれ、様々なテクニックを体得して、鮮やかな構造の美学に心奪われて、その延長の世界を夢見て授業を受けると、レッスン1で数直線が切れていないことの論証から始まったりする。
みんな当たり前の様に数直線の交点がなにかとか考えたりするけど、もし考えている交点の箇所だけ穴が空いていたら、そんな点は幻となる。だから途中穴が空いていないことを確認しておかないといけない。
また、高校の数学では直感的なわかりやすさを優先して、多少の曖昧さや矛盾を犠牲にしたところがあって、その見直しも公理系を起点に議論を展開する中で行われる。例えば、極限を求めるときにだんだんと近づくなんて定性的な表現は、様々な関数がその特色をもって極限値に近づいていく様子を観察する場合には適さないし、
三角関数の極限の公式
$\frac{\sin \theta}{ \theta} \rightarrow 1$
という公式も教科書にあるような証明方法では実は循環論法だということを知る。
わかりやすさよりも正確さに重きをおいて、緻密に論理を積み重ねながら遂には高校数学までに習う既知の内容の確認を通り過ぎ、大学の内容の数学に展開されていく(もちろん、既知の内容の確認にも新しい定理の導入はある)。
そして気づいたら、結構な人が出席を取らない授業には出なくなって、何人かは大学を去っていく。ボクの友達にも辞めた人がいて、そいつは「ボクが思っていた数学じゃななかった」と、数学と異性を絡めたようなセリフを残して去っていった。
ボクの場合は、大学受験数学のゲーム的なところから離れて、感覚的というか、無意識のうちに理解していると思っていたことを定量的に明らかにしながら、様々な観点から構造を確認していく数学の世界も面白いと感じ始めていて、やたらと高い数学の本を僅かなバイト代であれこれ買っては当時住んでいた東京・錦糸町のエクセルシオールカフェでよく延々と読み耽っていた。
そんな日々の中で田島一郎氏の解析入門に出会えたことは大きかった。高校数学から大学数学への接続をとてもわかりやすく解説していて、大学数学最初のハードルになりがちなε-δ論法(イプシロンーデルタ論法)も抵抗なく理解できた。本のサイズもカフェで読むにはいい感じのサイズで、当時何周か繰り返し読んだことを覚えている。
今でも暇つぶしに読むことがあるが、今では内容の理解というよりも大学数学の入り口に立ったあの頃の時代感というか、空気・考えていたこと・環境などある種VRの動画を見るような感覚で読み返している。
数学科の入り口で最初に手に取る本としてとてもおすすめな一冊だ。今じゃ本屋になかなか並んでないだろうけど、機会があったらぜひ読んでほしい。