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チームワーク再考

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チームワークは大切なことだと、学生時代から社会人になった今でも事あるごとに耳にする。そんなことは当たり前だと思う反面、天邪鬼なボクは大切なチームワークってなんだっけと考えることがある。

 

数学専攻の大学院生時代、研究室には同期と二人しかいなくて、教授からはチームワークをもって研究していこうと言われていた。

数学の研究だし、そもそもチームワークとはどういうことだろうか。

当時ボクは悩んでいた。

 

あるとき、同期のもう一人に単刀直入に尋ねた。すると
「それはお互いがわからないところを教え合うということでしょ」
と即答された。

 

そのときはなんとなく流したが、実は腑に落ちていなかった。

 

わからないことがあったとき、相手にそれを聞いてみる。

相手はそれに答えを出せるときもあるだろうし、出せないときもあるだろう。答えをもらうことができたら自分が前に進める。答えが出せないときは、相手に考える材料(=成長する機会)を渡したから意味がある、つまりどちらに転んでもどちらかの糧になるからチームワークはいいものだと解釈するのだろうか。

 

質問することは相手の時間を奪うことだし、考えてもらうことは一方の責任を分担することだ。つまり、クオリティの平均化なわけで、こんなことをお互いにすることで果たしていいものができるのだろうか。これがチームワークの正体だとしたらなんだかいただけない。

 

チームワークの目指すところは、満足感をもつ人を増やすことではなく、結果のクオリティが

$1+1>2$

となることではないだろうか。

 

週に一度、研究室で一週間の研究内容を発表する時間があった。僕はここで徹底的に相手の論理矛盾やミスを追求すること、それに応じて議論を重ねることがチームワークだと考え始めていた。自分に向けて行われるそれらの行為も当然それに含まれる。


各々がベストパフォーマンスと思える内容で場に臨む。それに対し、互いが全力で議論する。その状況が効果的なチームワークであって、わからないところを教え合うなんて生ぬるいものとは異なる。

 

この考え方は今でもあまり変わらない。

 

そして、仕事においてもおよそ同じことが当てはまる。

それぞれがまず個にこだわる。そして、互いのこの領域を増幅させるような行為を考える。こういったことが集団としての利を生むはずだ。職場や会議室で自分の戦略なく、だらだらとお互いの意見を出し合って考えることが本当に良い結果を生むものだとは思えない。

 

 

もちろん、ギスギスした環境を維持すべきで、アットホームな雰囲気を排除せよ、ということではない。神輿を大勢で担ぐのは、非力な人を助ける為ではなく、重いものを個々人の力を足し集めて持ち上げるためなのだ。

 

 たまにはこんな精神論もありだよね。

 

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