2枚のコインを投げたとき、表・裏となる確率を求めよ
ただし、それぞれのコインにおいて表となる確率と裏となる確率は同じものとする。
なんて問題が学校の授業で説明されるとき、
表 表
表 裏
裏 裏
の3通りと数えるのは誤りで、
表 表
表 裏
裏 表
裏 裏
と考えて、4通りのうち2通りが表・裏の組み合わせになるから、確率は$\dfrac{1}{2}$になると教わる。
この説明は正しくて、なんの問題もない。
例えば、格闘技経験0のボクとUFCのコナー・マクレガーが戦うことになったとき、ボクが勝つ確率は
ボクが勝つ
コナー・マクレガーが勝つ
の2通りなので$\dfrac{1}{2}$なんてことにはなりえない。限りになく0に近いハズだ。コインのケースとは異なるのは、ボクの勝利とマクレガーの勝利は同様に確からしくないという点だ。
ここで、コインのケースにおいて、間違っている方の確率について考えてみる。
コインが表・裏となる確率が$\dfrac{1}{3}$でないのは何故だろうか。換言すると、何故
表 裏
裏 表
を区別して考えなければいけないのだろうか。これは統計的確率が容易に予想され、「同様に確からしい」という言葉のもとに説明がなされるのが一般的である。
ここでこの「同様に確からしい」ってなんだっけ?と振り返ってみると、同程度に期待できる云々と説明があり、確率の説明するのに確率使ってんじゃんとなるのは、有名な話だ。
で、ボクが考えてみたいポイントは「同様に確からしい」という文言の掘り下げではない。$\dfrac{1}{3}$だよといったときに、根元事象の方に逆算してみる価値についてだ。
どういうことかというと、$\dfrac{1}{3}$てことは、
表 裏
裏 表
がセットで一つ、つまりそれぞれの重さが半分になっていると解釈できる。もちろんコインで考える場合は、そんなことは起きるわけない(コインが金属で磁力で操るとそういうことはできるのかな)。
でもビジネスなんかでたまに使ったりする、二項対立の図式に持ち込むなんて作戦はまさにこれだ。
A社、B社、C社がほぼ同じ金額・品質である製品を提案してきたとする。普通に考えれば、各社採用される確率は$\dfrac{1}{3}$である。
ここでA社B社の製品の色が白くてC社の製品の色が黒ければ、白か黒かの議論にC社が持ち込むことができれば確率を$\dfrac{1}{3}$から$\dfrac{1}{2}$へ上げることができる。確率の問題的に考えれば白が選択される確率は依然$\dfrac{1}{3}$かも知れないが、実際はランダム選択にはならず、選択する人間の心理があるため、この状況は$\dfrac{1}{2}$がより最適だ。
冒頭の格闘技の例では、二項対立の図式を作ったところで実際戦ってみればボクに勝ち目がないのは明らかで、心象操作をしたところでどうにかなるものではない。
逆に言うと、製品の提案の例のように、心象操作で考えている区分を同様に確からしく思わせることができるときには有効だ。
同様に確からしくないものを確からしく扱ってみることは、ときに福音をもたらすかも知れない。