小さい頃からときどき考えることがある。だれでもきっと同じなんだろうが、
死んだらどうなるのだろうかということだ。
天国や地獄へ行くのだろうか。灯りの電源を落とすように、何もない無の世界に飛び込むのだろうか。もしくは、生まれ変わるのだろうか。
世の中には色々な諸説があるが、僕は学生時代ずっと死んだら何もなくなると考えていた。
医学的な見地から、人は何故見えるのか、聞こえるのか等いわゆる五感の仕組みはわかっている。それらを機能させる神経が切れたらそれらは不能になるわけだ。脳科学の詳しいことは知らないが、海馬とか前頭葉とかのそれぞれが役割をもっていて、記憶とか思考を実現している。そういった器官がダメになってしまえば「我思う」ことが適わなくなることは想像に難くない。ゆえに、何もなくなることが当然と思っていた。
しかし確率論をしっかりと考えるようになってから思うのは、真逆のことである。
人のアイデンティティを定義する「物」が具体的に何なのかはわからないが、世の中のものは原子の結びつきや集合体、組み合わせ等で成り立っているのであれば、きっとその「物」もそれらの一定範囲の空間のパターンで構成されているはずだ(温度も気体の分子運動論で考えれば、表現の範疇だ)。
死ぬと人間の機能の全てが止まってしまい、「物」も生前とは異なるものに変貌してしまうとして、この宇宙空間が無限に時間軸を持つならば、自分を自分として定義していた「物」のパターンに再度偶然の回帰が起こる確率は1である。
少し数学的な表現を用いてもう少し考えてみる。
例えば、地球の中心辺りに原点をおいて、3次元空間上のある時間$t$における点を$(x, y, z, t)$、そのときその場所にある原子(物質)を$f(x, y, z, t)$とする。
すると、ある時間$t$における僕自身+まわりの一定範囲の空間は、
$sum_{(x,y,z)in A} f(x, y, z, t)$(Aは時間$t$に僕が存在している空間+一定範囲)
と表せる。
ここで$t$が無限に存在し、その間空間上に存在する原子がランダムに存在し続けるならば、
$sum_{(x,y,z)in A} f(x, y, z, t_{1}) = sum_{(x,y,z)in A} f(x, y, z, t_{2})$
となる時間$t_1$、$t_2$($t_{1} eq t_{2}$)が存在する確率は1である。
当然僕一人に言及せずに空間$A$は拡大することも可能で、ということは、この世界がもう一度、いや何度でも訪れることも意味している。
話を単純化させるならば、永遠に生きる猿がいたとして、ランダムにパソコンのキーボードを叩かせ続けたとき、偶然あなたの住所と名前をタイプする確率は1、つまり必ず起きるわけだが、このことと要諦は同じである。
永遠に流れる時の中で、いつか手塚治虫が描いた無限回廊のように、僕らはすでに何度目かの人生を歩んでいるのかもしれない。